岩手、宮城県の病院管理栄養士の新卒について

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2013/01/24 02:28:04

はじめまして。今大学3年生で管理栄養士を目指している者です。

現在就職活動中で企業(食品系)にもエントリーをしたりしているのですが、一番の希望は病院での管理栄養士です。
また大学は東京にあるのですが、就職は地元の岩手県か、働きやすい宮城県でのU/Iターンを考えています。

しかし、私の大学は養成施設になってからまだ10年経っておらず、管理栄養士として働きたいという人もあまりいないので、宮城、岩手の情報がありません。先輩も病院の管理栄養士として内定をもらうのは毎年1人くらいです。また実習も4年生になってから行くというものになっていて、私は3月の上旬に保健所実習、7月中旬~8月上旬に病院実習(3週間)、9月に栄養教諭の教育実習(2週間)というスケジュールになっています。

リクナビや日経をみていても病院管理栄養士の募集はまだ掲載されていません。病院実習の日程を決めるときは先生に「そこなら病院も企業も被らない」と言われ、先輩も一番早くて4年の9月に初めて病院の採用試験を受けたとおっしゃっていたのでその時期にしたのですが、このサイトを見ていて夏前後が新卒採用も多いという方が多かったのですごく不安になってしまいました。


実際新卒で管理栄養士を募集している病院はあまりないと聞きますし…初歩的なことで申し訳ありませんが、
1.いつ病院の新卒募集はではじめるのか
2.どうすれば病院管理栄養士の新卒として働けるのか
3.また管理栄養士として養護老人施設や学校の給食センターで働く方法はあるのでしょうか(しかし、あくまでも病院が第一希望です)
以上の3点について何かアドバイスや情報がありましたら是非教えていただきたいです。
特に岩手県、宮城県での情報をいただければと思います。

≪ここから先は私が管理栄養士になりたいと思った理由についてです。長くなりますがお時間があればこちらも参考にアドバイスをいただければ幸いです。≫

私は中学生3年生のころから管理栄養士になりたいと夢みてきました。その理由は祖父母の闘病生活からです。小さい頃から糖尿病を患っていた祖父母のお見舞いに通っていました。そのため病院食やインスリン注射を見ることも当たり前となっていて、食事が人の健康に大きな影響を与えることを知り、病院の管理栄養士になりたいという夢をもちました。
高校1年生で祖母は入院をしながらも血糖コントロールをしなくても済むようになりました。しかし祖父が高校2年生の頃、亡くなりました。原因は糖尿病による末期の腎症です。私がお見舞いに行ったとき体も動かなくて、ほとんど話すことのできない状態で「ここのご飯は歯にはさまって食べにくいんだ。病人にとって食事は唯一の楽しみなのに…」と言っていました。前の病院ではソフト食が提供されていたのですが、その病院で提供されていたのはきざみ食でした。元気なころから食べることが大好きだった祖父のこの言葉が管理栄養士になりたいという夢を更に強いものにしました。
大学3年の秋にずっと入院をしていた祖母がもうダメかもしれないとの連絡が届き、あわてて実家に戻りました。その時の祖母の姿が祖父の亡くなる直前の姿と重なり、家族も何かあった時のための覚悟はしていました。しかし、その2週間後病院から「動けなくとも消化器官はまだ生きているので経腸栄養に切り替えてみてはどうか」という提案があったそうです。いちかばちかだったものの見込みがあるならと経腸栄養への切り替えが行われました。その後祖母はみるみる回復し、今では自分で食器を持って食事をとることができるまでになりました。年末に帰った時はよく話もするし、ずっとねたきりの入院生活をしていた祖母の元気な姿を見るのは本当に久しぶりでした。そこの病院でここまで回復した患者の例は初めてだったそうですが、やはり食事には人の健康に大きな影響を与えるということを再認識できた出来事でした。
私は管理栄養士になって患者さん達においしくて、元気になれる食事を提供したいです。食べることで生きる喜びを感じてもらえるようなお手伝いをしたいです。
幼稚な言葉かもしれませんが、これが私の夢です。
長文になってしまい、申し訳ありません。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

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