情報 栄養失調による衰弱死したのは30年以上ひきこもっていた56歳の男

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2021/12/23 20:42:50

56歳 ひきこもり衰弱死 ~父と息子すれ違いの果てに~
2021年12月23日 18時52分
「伸一さん」は30年以上にわたってひきこもり続けていた。
56歳で一人、家の中で亡くなった。栄養失調による衰弱死だった。
亡くなる10日前まで訪問していた自治体職員に、伸一さんはこう繰り返していた。
「父から、とにかく経済を安定させるように言われていた。出来るだけ早く健康を取り戻して、仕事に就きたいと思います。努力して」
空き家となった自宅からは、伸一さんの父が長年書き記していた日記が見つかった。
そこには、息子の将来を案じ続けた父親と、父の言葉にとらわれ続けながら、まじめに生きようともがいた息子の姿が記されていた。(社会番組部ディレクター 森田智子)

「何かマネキンの手みたいなものが落ちていると思ったら、やせ細った兄の亡骸(なきがら)でした」
空き家となった実家の管理をしている、伸一さんの2歳年下の弟・二郎さん。
3年前の冬、市役所からの連絡を受けて久しぶりに足を踏み入れた。

かつて家族が居間として使っていた1階の部屋で、兄はゴミに埋もれて亡くなっていた。
低栄養、低体温による衰弱死だった。

兄弟は疎遠になり連絡を取り合うこともなかったという。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211223/k10013399621000.html?fbclid=IwAR3kIyNcOJrF8lwXmcNQpSG-eUV6KSqpiT1F_nOnaXG7fsXGZT4RNehkkZ0


   「空蝉(うつせみ)の家」 NHKプラスで動画配信中

初回放送日: 2021年12月18日

神奈川にある住宅街の一軒家。ゴミ屋敷と化していたこの家で一人の男性が遺体で発見された。男性は30年以上にわたってひきこもっていた伸一さん(享年56)だった。誰もいなくなった家には、伸一さんの亡き父親が長年つけていた日記も残されていた。つづられていたのはどこにでもある家族の日々。しかし、ある時から父親は伸一さんを「まるで空蝉のようだ」と記すようになる。家族に何があったのか。この家の記憶をたどる。https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/LRNNLVW17Y/

【追記:2021/12/25 13:03】
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「引きこもり」家庭で孤独死した男は生を求めていた
父親の日記が浮き彫りにした「空蝉の家」の物語
田部康喜 (コラムニスト)
 ETV特集「空蝉(うつせみ)の家▽ひきこもり死・家族の記憶」(12月18日、NHK+配信終了:12月25日23:59)は、30年以上にわたって、引きこもり生活を送り、2018年12月に56歳の若さで孤独死した、男性とその家族を追ったドキュメンタリーの佳作である。

内閣府が一昨年、40歳から64歳の成人の中高年の引きこもりが、61万人と推定した。70歳代の親が40歳代の引きこもりの子どもを養っている「7040」問題と、80歳代の親が50歳代の引きこもりの子どもと暮らしている「8050」問題は、いまでは一般的に知られるようになった。親の世代の高齢化によって「9060」問題につながる未来は現実である。

 無味乾燥な数字も衝撃を与えることは確かである。しかし、引きこもりの家族の内側は、閉ざされていることもあって、現実がわからない。亡くなった男性の父親が、丹念に綴った日記が残されて、「数字」の裏側にどのような悲劇が潜んでいたのか、胸に迫ってくる。

メモから見える生前の姿

 今回のドキュメンタリーは、神奈川県横須賀市の海に近い戸建てのなかで、栄養失調のために衰弱した56歳の伸一さんとその家族を冷静な取材とカメラによってとらえた。

 伸一さんは、大手製鉄メーカーを定年退職した、父・吉之さんと専業主婦の母・貞さんの長男として生まれた。個人タクシーを営む、弟の二郎さんと4人家族だった。08年に両親は相次いで亡くなった。

 

【追記:2021/12/25 13:03】
ドキュメンタリーの白眉は、最後のシーンのなかで、弟の二郎さんが亡くなった伸一さんの自宅を調べていた時に見つけた、伸一さんのメモである。そこには、福祉関係に長らくたずさわっていたこと、医療関係者に電話をかけるときに話す内容が、まるでシナリオのようにきちんと書かれていた。

 「いま話していいですか」と始まるメモは、父の死の際にいとこが来てくれたことなどに礼を述べ、これまでの非礼を詫びる言葉が幾度も書かれていた。そして、最後に「受診できる病院はないか」と聞く言葉があった。

 そのいとこは、不在で、伸一さんがメモを読みながら話すことはついになかった。いとこは語る。

 「(生きる)チャンスはあった。自分のことをあきらめちゃいけない」と。

 伸一さんの死の1カ月前ほどから、市の福祉担当者が熱心に伸一さんの家を訪ねていた。「病院に一緒に行こう」と勧めた。食べ物を持っていって「栄養失調ではこのまま死んでしまうよ」と、励ましもした。

 ドキュメンタリーは、このときの伸一さんの姿の映像と声を収録していた。まさか、死を前提とした取材であるはずはない。ひきこもりの人と、それを救いたいと考える人を取り上げようとしていたのだろう。

【追記:2021/12/25 13:04】
伸一さんは、髪も髭も伸ばし放題の姿で、市の担当者の前に現れた。その言葉はしっかりとした信条を感じさせる。

 「いままで食パンだけを食べてきたので、(いただいた食品は)ぜいたくに思える。もうちょっと(自分で)頑張ってみる」「自分でやってみたい。もう少し時間をください」「父から、経済が安定しないと病気になる、といわれていた。なるべく健康を回復して、職につきたい」

生活はどのように変わってしまったのか

 伸一さんの暮らしに影がさしてくるのは、大学受験のころだった。英語を生かした職業に就きたいという希望があった彼は、英文科を受ける。しかし、不合格。2浪もしたが、願いはかなわなかった。

 そんな伸一さんに、父・吉之さんは就職を勧める。病院の事務職に就くが、緊急外来の担当で、残業が続いて、精神を病む。勤務は10カ月足らずで退職し、伸一さんがそれから、就職することはなかった。

 そのころ、母親の貞さんに異変が起きる。妄想を口走るようになる。伸一さんは、父に代わって母の世話をするようになる。伸一さんは20歳代だったが、いまでいう「ヤングケアラー」の立場になったのである。いつしか、伸一さんは昼夜逆転の生活を送るようになる。食事や身なりもままならない。

 ドキュメンタリーのタイトルの「空蝉の家」は、父・吉之さんの日記の言葉からきている。

 「(伸一は)何を考えているやら。廃人、そのようにしか見えない」「伸一は相変わらず〝空蝉〟のごとし」

 2007年、吉之さんは肺がんとなって、全身に転移していた。それでも、伸一さんの誕生日を祝おうとしていた。このとき、伸一さん45歳。「2007年2月27日 寿司4人分を買うも伸一食べない」と、日記にある。

【追記:2021/12/25 13:04】
生きようとしていた証も

 ロシアの文豪・トルストイがいうがごとく「幸せな家族は一様だが、不幸な家族はそれぞれである」。ひきこもりの家族のありようもまた、それぞれだろう。

 このドキュメンタリーが、激しく心を揺さぶるのは、ひきこもりの人が最後まで生きようとしていた、「生」への執着を失っていなかったことである。

 伸一さんは、「ゴミ屋敷」と化した自宅の床で、ゴミにうずもれるようにした状態で発見された。そのわきに、NHKの英語のテキスト、しかも死の前年の「2017年」と記されていた。最後まで、英語を使った仕事に就く夢を捨てなかったのだろうか。

【追記:2021/12/25 13:05】
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25284

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