これからのこと(長文になります。)

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2022/10/06 15:56:54

初めて投稿させていただきます。
4月に新社会人になり、現在転職活動中のmariと申します。

私は栄養士養成の大学を卒業し大学院へ進学、大学院在学中に特定給食施設で実務経験後、管理栄養士資格を取得しこの4月から病院で管理栄養士として働き始めました。
学部時代から病院で働くことを志しており、ようやくスタート地点にたどり着けた思いでした。
私が勤務していた病院では、献立作成や食材の発注、納品、調理業務は給食委託会社が行っています。
1年目は施設側の管理栄養士も、病院食をきちんと理解する目的で委託従業員と同じように厨房業務を行いますが、病棟業務や栄養指導に注力できるような環境でした。

私も、毎日数時間から半日程度は厨房業務を行い、その他の時間は事務業務をはじめ、病棟患者さんの栄養管理や栄養指導を教わりました。
2か月目からは先輩にフォローしてもらいながらの栄養指導や、病棟患者さんのアセスメント、聞き取りもするようになりました。
事務作業は、経管栄養剤の在庫確認から発注、委託会社から提出される献立の確認、職員食堂の献立の確認、委託会社の勤務表等の管理、各委員会への参加と議事録作成、科内会議や委託会社との打ち合わせでの議事録作成、文房具類の発注や修理の報告書作成、日誌作成…その他諸々かなりの量の事務業務を1人で行うようになりました。
厨房業務、病棟回診、栄養指導につき、空いた時間で事務作業を行うとなると、どうしても時間内に終わらないことがあり、何度か先輩に相談したこともありました。
ある先輩は、1年間かけて厨房と事務業務を網羅的に行えるようになり、病棟での業務についたのは2年目からとのことでした。
またある先輩は事務作業がどうしても終わらないときは持ち帰ってやっているとこのことでした。
患者さんの個人情報に関わるようなことは一切持ち出しませんが、それでも医療機関で扱うものを持ち帰るのはどうなのかと思いつつ、毎日帰宅してから23時、24時頃まで作業を行うようになりました。
勤務中は毎日いっぱいいっぱいでしたが、憧れの職に就けていることが嬉しく、必死に仕事を覚えました。
しかし、次第に仕事に行くことがつらいと感じるようになってしまいました。
業務内容の負担や緊張感の高い状態が続いたこともありますが、一番つらかったことは人間関係でした。
私が所属していた部署には、課長、2番手の立場の係長、その他に常勤管理栄養士が3名いるのですが、課長から部下へのいじめのようなものが酷いのです。また、係長も課長に同調していじめに加わっているような状況です。
標的にされていたのはA先輩でした。私からすると、A先輩は要領よく仕事をこなし、他科からの信頼も厚い方でした。
しかし、課長は、重要な情報をA先輩にだけ共有しない(業務に支障が出るようなことでも)、自分の思い通りにならないことをすべてA先輩の責任にし、執拗に罵倒し長時間に渡り叱責する、到底時間内に終わるとは思えない内容の業務を振り、終わっていないと叱責、悪口、無視…
当事者でない私がダメージを受けるのはおかしいと言われればその通りですが、毎日閉鎖された空間でこのようなことが行われていると、どうしても息苦しくなってしまい、委縮してしまう毎日でした。
また、私はA先輩からも様々な業務を教わりましたが、業務の引継ぎが終わる度に課長や係長から呼び出され、「〇〇さんからどんな風に説明されたか私に教えて?」と説明を求められました。
私が教わった内容を説明すると、その中で粗を探し、A先輩に向かって「mariさんにこう教えたんだって?なんで?これじゃ〇〇じゃん、どうすんの?」と問い詰めることが毎日のようにあり、私はどうしていいのか、どうしていたらよかったのか全くわからなくなってしまいました。
後から知ったことですが、新卒、中途にかかわらず、課長が原因となり退職してしまった人はこの数年で片手に収まらない程だったそうです。
課長は以前にもハラスメントで上部に訴えられたことがあり、少しは改善されたとのことでしたが、それでも私にとってはつらい状況でした。
また、A先輩が入職した当初は別の先輩が標的にされていたそうなのですが、その先輩が退職の意思を示した途端課長の態度は一転したそうです。
現に私が在籍していた当時、その先輩へはあからさまに猫なで声で話しかけ、プライベートのことなども仲良さげに話していました。が、陰では酷い悪口を言っているような状況でした。
そんな中で働いているうちに、わけも分からず涙が出たり、夜眠れなくなったり、だんだんと仕事への意欲が失われていくのを感じました。
6月頃からはめまいや動悸、吐き気などの不調が出始め、頭には10円ハゲができ、過呼吸になることもしばしばありました。
それでも仕事中は気を張って、なんとか業務に従事できている状態でした。
心因性のものであることはなんとなく理解していましたし、このままではまずいなとも思いましたが、社会人としてこんなことで折れていてはどこでもやっていけないと思い、必死で働きました。
しかし、ある日突然通勤の電車に乗れなくなり、受診した結果適応障害ですぐに休養が必要との診断を受けました。
診断を受けた次の日から仕事は休ませていただき体調も回復しましたが、結局8月末で退職してしまいました。

退職してからは毎日求人を探していますが、未経験での募集はなかなか見つからず、応募できそうな施設があっても、また人間関係がうまくいかなかったらどうしようという不安が大きく一歩を踏み出すことができません。
エージェントの方からは、病院はどこもそうだしそんなことで辞めているのでは病院では働けないというようなことを言われてしまいました。
もちろん人間関係や業務内容を含め、病院が厳しい世界であることは理解していたつもりでした。
そのうえで、臨床分野の管理栄養士としてキャリアを積みいずれは大学の教員になれたらとも考えていました。
しかし、これから自分がどの職種でどのように働いていきたいのか、そもそも管理栄養士として働きたいのかもわからなくなってしまいました。
一度一般企業で働いてみようか、でもそうするとまた病院で働きたいと思ったときにもう戻ることはできないし、大学院まで出て全く別の職についたらお世話になった周囲の方々を落胆させてしまうかもしれない…いろいろと考えてしまいがんじがらめになっています。

このままでは、管理栄養士どころか、どこに行っても同じことを繰り返してしまう気がしてなりません。
処理能力が低くストレス耐性のない自分が本当に情けなくて恥ずかしいです。
今月から学部、修士で借りていた奨学金の返済も始まります。
24歳にもなって職に就けず実家に甘え、自分は何をやっているのだろうと毎日苦しいです。
もういっそのことすべて終わりにしたい気持ちです。

脈絡のないことをだらだらと述べてしまいました…

現状を相談できる人がなかなかおらず、私の状況に関して客観的なご意見をいただきたく、こちらに相談させていただきました。
また、同じようなご経験をされた方がいらっしゃいましたら、どのように状況を打開したかお聞かせいただけないでしょうか。

よろしくお願いいたします。

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