先生から苦情の電話。挫けやすい自分。

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2022/10/08 20:30:07

私の人生は波瀾万丈で、話すと長くなるんですが…

栄養士としての働く事は10年ぶりで、今年の4月から学校に勤めています。
最初は病院の栄養士として勤めてたのですが、家が火事で全焼し、火や煙を見るとフラッシュバックしたり、ストレスとショックで心の病気になり泣く泣く退職しました。

なんとか克服したくて、退職した後も、フレンチレストランやカフェの仕事したり、試行錯誤。
働く事を諦めて、趣味に没頭したりもしました。
結婚、出産、育児の間は、自分の苦手だった裁縫に取り組んでいたらすっかりハマってしまい
ハンドメイド作家としてイベント出店や、毎月新作を考え委託販売をし、自宅で楽しく製作を続けていました。

そして子どもが小学生に上がり、ふと、また調理の仕事をやりたいと考えて学校給食センターのパートを始める事にしました。
久しぶりの調理の仕事は肉体労働だし大変だけど楽しくて、
私の心の病気もすっかり回復していて、本当にやりたかった場所に帰って来れたと毎日仕事に行く度にワクワクしました。
社員やパートも仲良くしてくれて、職場も、センターの人の事も大好きでした。

仲の良い事務の人に、紹介したい仕事があると言われ、いきなり教頭先生と話す事になりました。
栄養教諭が急遽欠員となり、学校給食を任せられる人がおらず困っていると、栄養士を持っているだけでもいいからぜひ来て欲しいと、お願いされました。
私は小学生の頃から給食のおばちゃんになるのが夢で、栄養教諭も取得していましたが、
栄養士として働く事を諦めていたため有効期限も切れていて、未経験の私に務まるのか?不安でした。
センターの事も大切な場所だったので、何日も眠れないくらい悩みました。

挫折を経験し、もう一度やり直せるなら、今しかない。栄養士として頑張ってみようと、学校栄養職員として働く事を決めました。

しかし10年ぶりの栄養士。
1人で献立、発注、欠食管理、業者や調理員に指示、食育、出張…
4月、5月は記憶がないくらい忙しくて、土日も学校に行ったり仕事を持ち帰ったり、ガムシャラに働きました。

急遽転換した前任の先生は、この学校を辞めたくて仕方がなかったみたいで、残された書類から、気持ちが伝わって来ました。
マニュアルもなく、教えてもらった事を書き殴ったノートだけでは情報が足りず、
自分で検索したり、人に聞いたり、とにかく毎日修羅場でした。
でも、任された以上はちゃんと勤めたいと、できるだけニコニコして明るく接するようにしていたら、調理員さんや周りも助けてくれたり、声をかけてくれました。

そして二学期になり、やっとボチボチ分かってきた時に「おかずが少ない。見に来て」と担任に教室へ呼び出されました。
謝ることしかできず、給食への文句を怒鳴られました。
食材費高騰と葛藤しながら給食提供してた事もあり、分かっていたけど
頑張りすぎていた自分が、先生の一言でパンクしてしまいました。

やっぱり経験も知識も浅い私には務まらないんだ…
その辺をフラフラしてた主婦の私では無理なんだ…と落ち込んで、
帰るまではニコニコしてたけど、帰宅してから涙が止まらなくて眠れませんでした。

まるでレストランの店員みたいに、お客様に頭を下げて、申し訳ありませんって言うしかなかった自分が悔しいです。
少ないと言われたその量になった理由も説明できたはずなのに。

美味しいって自信がある給食を提供できた時でも、先生たちから感謝の言葉はもらったことがありません。
文句だけはしつこく言われる。
そういう仕事なのかな栄養教諭って…。

私はまだまだ勉強不足で経験も浅い。
だけど、私が栄養士以外に経験して来た事を、きっと献立や食育に活かせるはずだと自信があるので、
きっと休みが明けたらまたニコニコしながら学校で仕事するんだろうなと思います。

落ち込みすぎてここに愚痴っちゃいました。
すみません。

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