食中毒の体験談、ウチはこんな風になりました

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2012/11/09 11:44:05

ノロの季節がやってきましたね。
今後も気を引き締めて・・・という方も多いと思うのですが
今年自分の職場で食中毒が起きたためその体験を共有したいと思います。

私の勤めている保育園は基本日曜日が休みで
土曜日は月1回だけ休みです。
あとは半日出勤です。

8月の日曜日、緊急連絡網で保育園から電話がかかってきました。
2歳児の子が検査で、o-26が検出されたとのこと、
今すぐ保育園まで来てくださいと主任の先生に言われ
すぐ職員全員が招集されました。

私たちも検便容器を渡され、既に感染者がいないかの検査を受けることになりました。
その日は休み返上で、教室の壁や床、触れることの出来るありとあらゆる部分、遊具、おもちゃや絵本など
皆で手分けして次亜塩素酸で拭きました。
これがとてつもない作業で気が遠くなるようでした。
これからは毎日、この作業を通常業務の後に行うということでした。

o-26の感染力はものすごく、
まずは家族の中での感染もあってか、その2歳児のお兄ちゃんに感染していたこともあり
4歳児の部屋に広まりました。
あとはもう兄弟伝いの縦割り式でどんどん広まっていきました。子どもたちが感染して持って帰り、ご家族の方にまた感染する・・・というループ状態でした。
小さい乳児のいるおうちには本当に注意が必要だと勧告しました。

職員の方も1度目の検査で
2歳児の部屋の保育士さん2人が感染しておりました。
(2歳児の部屋の保育士さんは5人いらっしゃるのですが、
その中の“よく子供を見ている”と働きぶりが評価されている先生2人が感染しているのがなんだか印象強かったです。偶然とはいえよく接していたのだろうなと勝手に思ってました。)


その保育士さんは次の検査で陰性が出るまでは出勤停止です。2週間程お休みを頂くことになったと思います。

給食も5日間位停止されました。保健所の方がふき取り検査や検食を持っていかれました。
停止期間の給食は主任先生の好みで、巻きずしやフランクフルトなど、ジャンクなものもよく食べていました。(これは一体どうなんだと思いましたが、急なことでお弁当などが抑えられませんでした。前例がなかったことがつらかったです。)

保健所の方が来られて、保護者説明会を開いて下さいました。保健所の方は、こちらの大変さをよくわかっているようで、私たちにとても同情的でした。普段の業務+食中毒への対処、風評被害など、おそらくどんなダメージがあるのかを察しておられる方でした。
実際検食では検査ではo-26が検出されず、うちの厨房から出たものではないと思うという結果が出ました。

色んな憶測が流れる中
一番初めに出た2歳児の子が前日に家族で
焼き肉に行っており、生の肉を食べたことが原因ではないかということが判明しました。(保護者は初めのうちはそれを話してくれませんでした・・・)

この時は保育士さん側にも白い目で見られ
結構ギスギスした空気になっていたので
検食から出なかったことは正直ホッとしていました。

「なんで感染させるようなものを食べさせるの?」
なんてことをベテランの保育士さんに言われたこともありました。

本当こういうことの疲労は人間の精神的余裕をなくすのだなと怖さを知りました。

園児たちの病状が治まった後も
行事の日も変わらず、終わってから3時間以上かかって園全体を拭きました。もちろん残業代なんてつきません。
疲れて話すこともない状態でもくもくと毎日拭きました。


2か月近く経ってようやく
最近、もうそろそろ大丈夫なのでは・・・ということになり
拭き掃除がなくなりました。

でも私はこのことは一生忘れられないだろうなと思いました。外部から持ち込まれたとしても、食中毒のダメージの大きさ、その後のケアの大変さ、保護者さんたちにこれからどうやって大切な子どもたちを守っていくことを伝えられるか、本当に大変ながらも栄養士としての義務・責任が身に染みた事件でもありました。


皆さんの中でも食中毒に合われたり、大変な思いをして駆け回っている方もいらっしゃるかと思います。
食中毒は起こらないに越したことはないのですが、
内部がどんなに気を付けていても本当にいつどこからやってくるかわからないものです。


皆さんに食中毒の大変さを少しでも
リアルにお伝えできればなと思い共有させて頂きます。
読んで下さった栄養士さん、ありがとうございました。


他の方の体験談も差支えなければ
聴かせて頂きたいです。

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