ショートステイにて1年半、本入居にて3年半、通算5年間施設を利用いただいていた方が在宅復帰されました。
ご利用者は女性。アルツハイマー型を50代で発症され、ショートステイ利用開始時は何とか手引き歩行できていたものの、すぐに状態は低下。
食事中の突然のピクツキ、息をヒーッと音を上げながら吸う、等で、ムセが頻繁にみられるようになるまで時間はかかりませんでした。
キーパーソンの四女さんが必ず食事介助に来られていました(同業者・看護師さん)。
本入居の際、ご家族からの希望を記入いただく用紙があるのですが、「認知症が進み、意志疎通もできない母です。体重も重たいです。大変な介護を皆さんにお願いして申し訳ないです。私たち4人娘を愛情いっぱいに育ててくれた大切な母です。穏やかに苦痛なく過ごしてほしいと思います。」
と書かれていました。
愛情いっぱいに育てられたその娘さん方も、愛情・思いやりの塊な方々でした。
食事摂取状況が変わるたびに、話し合いの場を設け、ご家族の意向を確認してきました。
「最期まで口から食べてほしい。マーゲンチューブは挿入しない。」
ということは常に言葉にされてきました。
「糖尿病があっても、血糖コントロール不良になっても良い。甘いものならよく進む。提供したい。」との希望もあり、療養食加算も外して、とにかく口から食べられるものを・・・ということを念頭に食事を提供しました。
いよいよ食事が進まない(1時間半でプリン状粥90g・栄養プリン1個、お茶ゼリー100cc、OS-1ゼリー50g程度)、誤嚥による吸引が続いた時に行った話し合いでは、その1か月後に(キーパーソンの)姪(=長女の娘)の結婚式がある。そこに参加したい。その時に口から食べてほしい。との思いを伝えてくださいました。
「結婚式に参加する!フランス料理を食べてもらう!」と目標を掲げました。式前後は「外泊(自宅)」でしたが、当日朝、施設に戻られました。「着付け」の為です。看護主任が「リクライニング車いすでも苦しくない着付け」をされ、送り出しました。
でも・・・。式の夜、体調が崩れ、発熱。
施設に戻った後も発熱が続きました。血糖コントロール不良・電解質アンバランスとなり、病院に搬送となりました。
病院では「経口摂取なんて家族介助でも病院ではさせられません。毎食これないでしょ?チューブを挿入します。」と言われ、四女さんもそれに従った。
コントロールが良好となり、3週間で退院となりました。
施設に戻ってこられた際、長女さんは「娘が『私がおばあちゃんを結婚式に呼んだから、おばあちゃんが入院しなきゃならなくなった』と落ち込んでいます。無理させましたよね・・・。」四女さんは「マーゲンチューブを入れなくて良いです、自然にしてほしい、ってどうして病院で言えなかったんだろう・・・。」と憔悴しきっていました。
看護主任、介護リーダーは「アルツハイマーが発症して15年以上経過して経口摂取できてきたことがすごいこと。結婚式までは頑張りたい、って、きっと、お母様は思われていたと思います。」と言われました。
私からは「チューブを挿入しても、それを体が受け付けるのは
まだ体が生きるために要求しているからだと思う。判断は間違っていないと思います。」としか言えませんでいた。
施設でも経管栄養でしたが、ペロペロキャンディーを口に含んでいただくことを開始したときには家族がとても喜ばれました。
そんなある日、四女さんから「自宅に連れて帰ろうと思う」と看護主任に相談がありました。
施設に不満なんてない。施設を出たいわけではない。自宅で看たい。私の自己満足の為です。
他の兄弟からは「無理しないで施設で過ごした方が良い」と言われたが、私は自宅で看たい。
四女さんは今すぐ帰りますという勢いでしたが、看護主任から「まずはお試し帰宅から始めよう。娘さんも自信がつくだろうし、不安なら今は退園せずに、施設で過ごせばよい。風呂やチューブ交換を考慮して日程はこれでどうだろう?」と提案し、そのようにしました。
退園の日。
花束を渡したとき、涙を流されました。それを見て家族・職員号泣。
施設全体に娘さん(四女・長女)『お母さんの気持ち』を四女さん代筆された手紙を頂きました。5年間携わった職員には個別にお手紙をいただきました。
私は「ショートステイの時から自宅でこうしたらよいのでは?施設ではこれなら食べられる?と色々考えてくれたことがうれしかった。母に食べる力をくれて本当にありがとう」という手紙をいただきました。
この言葉を頂いたことが嘘にならない多職種の力を合わせながら、精進していきたいです。
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