業務から人間関係の相談まで、エイチエでは大変お世話になっています。
切迫流産での入院、施設長からの不本意な叱責、予定より早めの8月末での退職、引き継ぎ期間はほぼない(後任の方は9/1採用、8/31まで前職での勤務のなか、8月に1日だけお会いできた)ため、業務内容をA4用紙30枚分に記載する・・・という怒涛の日々でした。
8年3か月お世話になった職場でした。
最初は「食事介助に来ても役立たず。目障り」と言われたり、コミュニケーションが取れなくて悩んだ時期もありました。
でも、信頼関係が出来て、食事でのご利用者様・職員とのかかわりが楽しくなってきた頃、一人目妊娠、産休。
産休明けて復帰した時、「待ってたよ!」と声をかけてもらって、居場所があってうれしかったこと。
経験を重ねてできることが増えた。だからこうしたい。でも独り身の時のように動けない。ジレンマが歯がゆかったこと。
そんな中でもイベント食・行事食・毎日の食事の工夫をみんなで話し合いながら進めてこれたことが楽しかった。
多職種協働の一員となれている、と思い込んでいただけだ、と言わんばかりに「みんながお前のことを看護主任の子分と思っている」ということを施設長から30分叱責され続け、そのたった30分で今までの8年を全否定された気持ちになった。
気持ち切り替えて最後の2か月間、仕事をしよう!と思ったけれど、介護長に「お前と看護主任が退職するとわかっていて、現状を施設長に報告した。」と言われた時には、退職勧奨を受けていたのだ、そこまでしてみんな、私のことが目障りだったんだ。
今まで通り職員さんと話せなくなっていく毎日。疑心暗鬼になったままでの退職で非常に不本意でした。
こんな気持ちで、楽しかった職場を辞めるのか・・・。
私は楽しかったけれど、周りの職員は私の看護主任へのごますりに辟易していたのか・・・。
そんなことない、と思いたいけれど涙で鼻の奥がツーンとする最終日でした。
後悔・怒り・哀しみ・疑問。
いろんな気持ちがこみ上げてきたけれど、「辞めるな」と声をかけてくれた職員さん。
「怒りを介護長と施設長にぶつけても何にもならない。汚い言葉は自分にすべて帰ってくる。貴方が口を汚さなくても、あいつらは看護主任と栄養士さんに放った汚い言葉がすでに身に降りかかっている。母ちゃん、泣くな!」と言ってくれた職員さん。
こんな方がいてくださったから、腐らずに最後まで務めることができました。
後任の栄養士さんは2歳年下のかわいくて礼儀正しい方でした。
一日しか引き継ぎできず、その後は電話で対応しています。
大変な中で毎日頑張っている彼女を気にかけてくれる職員さんがいてくれることを祈りつつ。
退職後は「ひまひまひま~」と思っていたけれど、
子供と過ごす時間が増えたこと、一緒に料理やお菓子が作れること、
今までより手間をかけた食事を作れること、夜勤で夜中に返ってくる主人に作りたての軽食を出してあげられること。
シーツをこまめに洗えること。
今までさぼりすぎていたのかもしれないけれど(汗)何気ない毎日が本当に幸せだと感じています。
お金の不安はぬぐいきれませんが、不安に思うより、贅沢をせず、丁寧な生活をすることで質素でも幸せに過ごしたいなぁ・・・。
と思います。
栄養士業務からはしばらく離れます。いつ戻れるのかわかりません。
また、別の世界をのぞいてみたい、とも思っている部分もあります。
エイチエでの業務相談もしばらくできないです(ちょっとさみしい)
でも、栄養士としての感覚は失わずにいたいので、エイチエには遊びに来させていただきたく思っています(^ ^)v
色々お世話になりました!
12月に元気な男の子を産みたいと思います!
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